Wednesday, March 14, 2007

死者と他者 ラカンによるレヴィナス 内田樹

現在のわしの師匠、内田樹先生が書いた、師匠がまた老師と崇めるレヴィナスについて

なんとなくわかるようなわからないような。哲学の内容なのだけど哲学特有の難しい言い回しなしで説明される。一行一行はわかるんだけど全体を通すとわからない。でも、読まなければいけない気がする。
たぶん、この本の目論見は私にとっては成功している。著者を師匠と呼ばせ、その絶対的な距離感を感じさせ師匠の文章を理解させようという努力をさせる。最後まで読み切れなかったが、この本は何度も読まなければいけないと感じている。これが師の持つ能力らしい

副産物として、哲学者がなんであそこまでややこしい言い回しをするのかわかった。(このわかったという感覚は、この本によると独学者の欠点らしい)
読者を筆者から隔絶するためらしい。(これが本書の他者の意味。誤読していなければ)
そうすることで読者の学ばさなければならないという気にさせることが重要らしい

本人が理解していないし、本書を理解するためにこの文章を書いている。しかし、私には第三者としての、うなぎも神も降りてこないらしい。この文章は誰にも理解されないままネットの塵として埋もれていくだろう。

たぶん書いてあるテーマは内田先生の「先生はえらい」と同じなので、こちらから理解するべし。こっちも理解はしたけど実感がわかないという印象がある。高校生向けらしいけどこれでも十分むずい。

しかし、哲学も禅宗チックだな。師弟関係を重視するとことか、ようわからんようで実はとてつもない内容だったとか、世間の価値観や科学とまったく違う体系を持つこととか。

うむ、どこまで書いても今回の投稿はまとまらない。難しすぎて本人のレベルを超えている。書いていたら理解できるかと思ったけどダメだった。一ヶ月ぐらいしたら自分でさえ何が言いたいのかわからなくなってる文章だな。

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