Sunday, August 05, 2007

CanCam 2007/6

この2年を象徴した宗教、意識、といったテーマに一通り結論が出たので新規ジャンル開拓を開始します。
次なるターゲットは一般人。(予定は突然変更されることがあります。)
で、自分と一番遠いと思われる普通の女の子の読むファッション誌を読んでみた。

ファッション誌の中で一番人気なのは「CanCam」だそうだ。
わざわざ金出すのもアフォらしいので図書館で借りてきた。
暑い、でかい、フルカラー。
こんな本がたったの630円。
相当広告費入ってるんだろうな。
初めは読み方もわからず数十ページほど商品紹介の細かい文字まで見てました。
目が痛くなります。
これは本じゃなくてカタログですね。いちいち細かい字まで見てちゃだめです。

以下雑感

●「ピンク×ブラウンがJUST小悪魔かわいい!」なんて書いてある。
曖昧3cm、それプニってことかい? 超! ラッピングが制服 らぶりーってことない? ぶん!
並に意味わかりません。

●カタカナ語が論文並みに多い。半分ぐらいカタカナ。
女のコは難しい単語嫌いかと思っていたけど語感としては好きみたい。
でも理論的に難しいことを話されることはダメみたいね。
体系化した哲学がモテになるという喪男の哲学の理屈もあながち間違いではなさそう。

●男の子が好きなもの調査なる項目がある。結果は
結論!やっぱり男のコは「白」が好き
結論!やっぱり男のコは「肌見せ」が好き
等々男のコの好きなものが列挙される。
ほかには男のコは「ワンピース」「デニム」「ぴたぴた」「ひらっ!ふわっ!」などが好きなようです。
いくつもあるものを結論と言わないんじゃ…
男ではなく男のコという言い方も何か解析すべき点があるような気がする。

むしろ男のコのほうは
セーラー服だからです←結論
オタクだけですか。はい、

数個から十数の中から自分に合うものを選択するってものが多い。
キャラ付けが必要になるわけだ。


女のコはかなりの勉強家です。
これだけ頑張っているのなら男も服装について褒めてやらなきゃいけないわけです。
「女はバカだ」とかいっちゃだめですね。

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Friday, May 04, 2007

カラス少女

意外とカラスを肩にのせた少女は多い
1,「Air」の美鈴ちん
2,「イエスタデイを歌って」のハル
3,「遠藤浩輝短編集 カラスと少女とヤクザ」の”少女”
一つめは泣きゲー、二つめは恋愛漫画、最後のものは短編漫画
なぜカラスと少女という一見結びつかないモチーフが
全く内容の違う3作品で現れるのだろう?

3人の共通点は天真爛漫さだろう
Airの美鈴は言わずとしれた不思議ちゃん
イエスタデイのハルは神出鬼没のフリーター
カラスと少女〜の”少女”は浮浪者

もう一つの共通点は孤独
美鈴は友達いない。親は夜にしかいない
ハルも家族と別居していて一人暮らし
少女も一人暮らし

しかもこのカラスたち全員何らかのハンディがある
美鈴のカラスは飛べない
ハルのカラスは足が不自由
少女のカラスは群れからはぐれたもの達

このカラスたちは何の象徴なのだろう?
エロい人教えてください。

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Thursday, April 26, 2007

レヴィナス 何のために生きるのか 著・小泉義之

途中読み
哲学のテーマ直球ストレート!
レヴィナスはやっぱむずいわ。
人は幸福になりたいと思い生きているけど、
生きている人はすべて幸福にいきているのだとさ。

まだ読んでない部分に内田先生がよく持ち出す「他者」の問題が書かれているようだ。
そこまでは読みたいな。理解できれば。
言葉が難しくなくても難しい概念はあるということがレヴィナスでよくわかる。
理屈こねくり回すのは理系の特権と思われているけれど、
哲学者の理屈のほうが理系よりよっぽど複雑怪奇だと思いますぜ。

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Saturday, April 07, 2007

神々の沈黙

今年初の”ヒット”

むちゃくちゃおもしろかった。
こういう本に出会う度に読書を続けていてよかったと思う。

紀元前7世紀以前の人は意識を持たなかったという常識を覆す大胆な仮説を
古代の文章、脳科学の両面から説く。

自我を持つことを当然として生きている現代人には理解できない感覚であるが、
古代人は意識を持たなかった。
じゃあどのように決断していたかというと、
「神の声を聞いていた。」
神の声とはいったい何かというと
言語野は左脳の後ろ側のウェルニッケ野に存在する。
現代人では働いてないが、古代人は左右対称の右脳の位置が言語野として働いていた。
ここで神の声を聞いていたのだ。
現代では統合失調症の人がこれに近い状態にある。

心が存在しなかったという根拠は?
正確に辿れる最古の文章の「イーリアス」には心を表す単語が全く存在しない。
その代わりに、神が命令したので何々をしたという記述がたくさんある。

その後、いかにして「神」が話さなくなり、
どのように人々が苦悩し、「神」を求めたのかという歴史まで語られる。

今まで蓄積してきた脳と宗教の知識が、この本を中心に急激に結晶化していく感じである。
それだけではない、私が好きな作品もおおよそ、この本のテーマ「二分心」で解決できる。
オメガトライブも、寄生獣も、ワイズマンも、ひぐらしのなく頃にも、
そして私のあの体験も

運命の本に出会えた。次は逆にこの本を核に、今までの思索をまとめる旅に出ようと思う。

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Saturday, March 24, 2007

女は何を欲望するのか? 内田樹

おお、まるで女を落とすノウハウ本のようなタイトルだ。
内田先生がそんな本書くわけありゃせんがな。

内容は、フェミニズムについての考察。
そもそも私はフェミニズムと言ったら田嶋陽子ぐらいしか思いつかない
フェミニズムと無縁な人間である。
フェッタリーなんてフェミニスト聞いたこともないがな。
しかしこの本には、かようなタレントの話なぞ出てこない。
フェミニストの主張とそれに対する反論がこの本の前半部を占める
言葉や他者についての内田先生いつもの主張なのだろうが、いつもどうりのわかったようなわからんような感じ
たぶん理解しきれていないのだろう

こういう自分でも理解し切れていない話を友人にして煙たがられることがある
なぜ自分はこういう話を人にしたがるのだろう?
自慢したいのだろうか?
と考えたこともあったけどこれも内田先生により解答を得た
自分が他人と話すときに現れるのは

まだ会ったことのない自分に会いたいから

なのだと。幸いにして私はそういう話を聞き流し、有効な返事をくれる友人に恵まれているため
これからもこういう行動を続けていくのだろう
これじゃあもてないなという諦めとともに

フェミニズムもマルキシズムもとうに終わった思想として生きてきた私には、
フェミニズムに万能性を期待することからフェミニズムが死んだといわれてもぴんとこない
フェミニズムからは女性は男性から権利を取り戻すべしという発想に
男女の不平等を解消すると言いながら、逆に不平等にとらわれすぎている気がしてはいた

生物学者として見た場合の男性の不利さばかり知っていたため
フェミニズム運動は
ただでさえ優位な女性がこれ以上の権利を要求する強欲な運動
ぐらいにしか考えていなかった

歴史的な意味を持つフェミニズムの存在を知り、その寿命の終わりなんて
自分の理解レベルの二歩も三歩も上の世界なので
この本は記憶の片隅にとどめ、エントリーシートでも書いていよう

後半は映画エイリアンシリーズと女性について。
現在斜め読みで済ませただけである。
こっちの方がおもしろそうだった。
エイリアンの造形はペニスが元になっているという話は聞いたことがあるけど
思想性があるとは思わなかった
はたまた評論家による深読みのしすぎか?
しかし、こういう全然関係なさそうなものを結びつける評論は好物なのである。

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Wednesday, March 14, 2007

死者と他者 ラカンによるレヴィナス 内田樹

現在のわしの師匠、内田樹先生が書いた、師匠がまた老師と崇めるレヴィナスについて

なんとなくわかるようなわからないような。哲学の内容なのだけど哲学特有の難しい言い回しなしで説明される。一行一行はわかるんだけど全体を通すとわからない。でも、読まなければいけない気がする。
たぶん、この本の目論見は私にとっては成功している。著者を師匠と呼ばせ、その絶対的な距離感を感じさせ師匠の文章を理解させようという努力をさせる。最後まで読み切れなかったが、この本は何度も読まなければいけないと感じている。これが師の持つ能力らしい

副産物として、哲学者がなんであそこまでややこしい言い回しをするのかわかった。(このわかったという感覚は、この本によると独学者の欠点らしい)
読者を筆者から隔絶するためらしい。(これが本書の他者の意味。誤読していなければ)
そうすることで読者の学ばさなければならないという気にさせることが重要らしい

本人が理解していないし、本書を理解するためにこの文章を書いている。しかし、私には第三者としての、うなぎも神も降りてこないらしい。この文章は誰にも理解されないままネットの塵として埋もれていくだろう。

たぶん書いてあるテーマは内田先生の「先生はえらい」と同じなので、こちらから理解するべし。こっちも理解はしたけど実感がわかないという印象がある。高校生向けらしいけどこれでも十分むずい。

しかし、哲学も禅宗チックだな。師弟関係を重視するとことか、ようわからんようで実はとてつもない内容だったとか、世間の価値観や科学とまったく違う体系を持つこととか。

うむ、どこまで書いても今回の投稿はまとまらない。難しすぎて本人のレベルを超えている。書いていたら理解できるかと思ったけどダメだった。一ヶ月ぐらいしたら自分でさえ何が言いたいのかわからなくなってる文章だな。

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Saturday, December 24, 2005

バカの壁 養老孟司著

久々の更新です。院試が終わって書きたくてたまっていたものを吐き出すぜい。
珍しく有名どころの本です。
人気な本や有名な本はなんか苦手だったり、つっこみどころ満載でとうてい読むに耐えないというのがだいたいの感想です。
結構期待していたのにこの本もご多分に漏れずに突っ込みどころ満載です。
ただ、養老孟司さんの本を読むのは初めてに近いので、これが本人が本当に主張したいことなのかがわからないので、天に唾すになるかも知れませんが、批判覚悟で叩き切りたいと思います。
養老孟子さん、有名な学者なんですからあなたはホントはもっとすごい人だと言うことを信じています。

まず第一に絶対に納得できないところ。
p26「つまり、真に科学的であるというのは「理屈として説明できるから」それが絶対的な事実であると考えるのではなく、そこに反証されうる曖昧さが残っていることを認める姿勢です。
進化論を例にとれば「自然選択説」の危ういところも、反証できないところです。
「生き残ったものが適者だ」といっても、反証のしようがない。「選択されなかった種」はすでに存在していないのですから。」とあります。

確かに現実での進化論は反証不可能です。
たとえば、この生物がこうやって進化してきたということを推定することはできても、本当にそうやってその生物が進化してきたということは誰にもわかりません。その意味では進化は反証不能です。

しかし、ダーウィンの進化論が優れている点は、”演繹的に”進化を起こすことができるからです。
たとえばメンデルの遺伝法則のような生物の法則と矛盾することなくモデルを作り、コンピューターでシュミレーションすると確かに、しかも他のモデルよりも高速に進化を起こすことができます。
できの悪い理論は進化を起こすことができませんし、また、できたとしても非常に遅かったり、現実とは似てもにつかない結果になったりします。
著者は、進化論は反証不可能と言われていますが、モデルを作るってシュミレーションをするという手段により、進化論は反証が可能です。

鋭い読者は進化論と現実に起きている進化が違っている可能性に気づいていると思います。
しかし、現実で何が起こっているかを理論が確かに説明しているということは証明できません。
しかし、そこには科学の限界があります。それを言うなら宇宙の起源について語る物理学も、地球の成り立ちについて語る地学もすべて理論通りに成立したかどうかは証明するすべはありません。
過去にはもう戻れないのですから。何も反証不可能なのは進化論だけではないのです。

また最初に考えていたものとずいぶん違うものができあがってしまったので、いったん区切って次回は細かい部分のつっこみといきましょう。

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ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源 マーヴィン・ハリス 鈴木洋一訳

頭のいい人が書いた文章というのは独特の雰囲気がある。感覚的で申し訳ないのだけれど、スパーンと頭の中に入ってくるのだ。やられたっていう感じなのである。あはは、よくわからないね。わからない人は浅羽通明などを読んでみるといいと思う。この人の本は素晴らしい。(特にこの人の書いた「なぜ大学へ行くのか?」は本を読む高校生から大学生にかけては必読だと思いますぜ)
この本もそうです。単純明快で理論的、それでいて面白くてわかりやすい。そして常識を打ち砕いてくれる。こういう本に出会えるから読書はやめられないんすよ。戦争、農耕の起源、食人、イスラム教はなぜ豚を食べないのかなどの疑問を栄養的な観点から説明します。超要約しますと、氷河期に気候変動と人が食い尽くしたことにより大型の動物が絶滅した。そのためアジアヨーロッパではしかたなく農耕が始まったが、いくつかの部族では人工の抑制のために女児殺しや戦争が始まった。まともな家畜のいなかった中米では栄養不足のため人を食うことになった。アステカの心臓を神に捧げる儀式は人を食べるためのものであった。イスラム教が豚を食べないのは豚のえさが砂漠では人と競合することになるので割に合わないから不浄のものとして食べなくなった。ヒンドゥー教で牛が神聖なものとされるのは労働力として貴重だから食わない方が利益になるからである。
たぶん俺の拙い要約では???な部分が多いと思いますので、是非実物を読んで頂きたい。つーかこの程度の要約だけでみんなに納得して頂けるなら何も本を書く必要はないのです。評論は納得してもらえなさそうなことを理解してもらうためせつせつと書いているものなのです。豊富な事例一つ一つもおもしろいしやはり一度読んでみることをお勧めします。

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「だれが「音楽」を殺すのか?」 著、津田大介

正直、この本に書いてある内容はちょっと古くなってしまった。2004年9月出版というつい最近の本なのにCCCD(コピーコントロールCD。パソコンでコピーできなくなくしたCD)と音楽配信を巡る状況は一年の間に大きく変わってしまった。ソニーはCCCD105作品を通常CDで再出荷するという完全になめたことをやってくれて完全敗北。(ただ、携帯音楽プレイヤーのことを考えてくれていると好意的に受け止めることも可)iTunes Music Storeは200円の曲と150円の曲がある上、個人的には品揃えに疑問符は飛ぶけれど4日で100万曲ダウンロードとなかなかの出だし。全く時代が移り変わるのは早いものです。一年たっただけでもう状況が完全に違ってきています。あとがきに”10年後くらいにこの本を読んだ人が「あのころの音楽業界はこんなくだらないことで悩んでいたんだね」と笑いながら感想を言えることを願って”といわれることは1年後に実現しかけていることからまだまだこの業界もすてたもんじゃないなと思ったりもする。
CDを買ったり借りたりしてMDに落とし、ポータブルプレイヤーで聞いている程度の普通の音楽ファンにとってはCCCD問題はどこ吹く風だっただろうけれど、レンタルしてコピーしたCD-Rで音楽を音楽を聴いてきた人間にとってはCCCDの発売は今まで問題なかった行為が突然いけないことにされて、自分たちは音楽業界の敵にされ、自分たちの権利は制限され、しかもここまでしておきながらCCCDがCDプレイヤーでかからなくなっても保証無し、返品も受け付けませんという音楽業界の態度にはさすがに腹が立った。(ちなみに、レンタルのCDを自分が聞くだけのためにCD-Rにコピーするだけなら合法。)この筆者もほぼ同じ感想を受け取っていたので、自分の怒りが私憤でないことに少し安心。ちなみにうちのマックはCCCDをあっさり読み取ってくれます。結局我が家にとってもCCCDはどこ吹く風でした。
この本の中でも曽我部恵一氏のインタビューはかっちょよかったです。CCCDは自由じゃねぇからイヤ。リスナーとのコミュニケーションが重要で金のことはあとで考えよう。ってスタンスに惚れました。聞いたことがない人だけど興味を持ったから今度レンタルしてみようかな?

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