Monday, December 11, 2006

レイアース批評

レイアースのネタバレを含みます。また、これらの作品を上から見た目線で批判するため、作品を大事にしたい方も読まないことをお勧めします。また、一応ストーリーの説明はしてありますけど、明らかに説明不足です。やはり知らない人は原作を読んだ後に読まれる方がいいと思います。



仲のいい友人からレイアースを借りた。

以前ちらっと立ち読みしたところ、ただのRPGのような漫画だという感想からその後は読まなかったのだが、其の友人の話では民主主義や独裁制についての深い寓話になっているらしく、どれどれということで借りてきて読む。

この話はレイアース三巻、レイアース2三巻の計六冊で完結する。
無印レイアースのほうは以前の感想どおりの、剣と魔法の国に女の子三人組がお姫様に世界を救ってと突然召還され、強い武器を探して悪い魔法使いを倒すというドラクエ的お決まりのストーリー展開。この世界では意志の力がすべてを決めるという設定が鼻につくも気にせず読み進む。

さらさらさら

3巻で大どんでん返し。なんとお姫様、世界の安定のために祈り続けているが、悪い魔法使い(実はお姫様のボディーガード)を好きになってしまって、世界のために祈れなくなった。このままでは世の中が悪くなってしまうため、自分を殺させるために主人公3人組を呼んだのだ。こんなところでこの世界では意志の力がすべてを決めるという設定が生きてくる。なるほど、伏線張るのうまいじゃないか。

ただ、呼ばれたほうはたまらない。突然わけ分からん世界に放り出され、騙されて人殺しに。で、ここで3巻終わり。姫様は死んでしまうし、恋人の魔法使いも死んでしまう。誰も救われない。超バッドエンド。ひぐらしみたい。

ここで終わったら読者を荒野に放り出す私好みの作品になるのだが、連載してる雑誌がなかよしでこれじゃまずいでしょう。というわけでレイアース2へ

最悪のエンディングで現実の世界に戻るも未練の残る主人公三人娘はふたたび剣と魔法の世界へ。その世界は戦国時代に突入してました。京に上って征夷大将軍になるため、よーするに姫様がもともといたポジションを求めて他国の侵略が繰り広げられ、将軍を失った国は荒れ放題。何せここは思ったことがほんとになる国。そりゃぁ誰もが自分の思うがままの国にしたいから(独裁者になりたいから)躍起になって攻めてきます。

ただ、ここで注目したいのはこの作品においての独裁者(「柱」という)は、まさに人柱となり滅私奉公せねばならないという点で既に独裁者はキムみたいな馬鹿でダメ!ゼッタイっていう民主主義のおとぎ話のレベルは超えているところだ。

いい独裁者なんて現実世界にいないじゃないかという方もいると思います。まぁ学校では民主主義に洗脳されますからいい独裁者なんて一人も教えられませんけど、存在します。それも大昔でもなく20世紀に。

ムスタファ・ケマルというトルコの初代大統領はトルコの民主化のために尽力を尽くしました。
独裁者が民主化のために努力する?そんなことがありうる?と思ってくれた聡明な読者のために、すこしwikipediaより引用します。

「ケマル・アタテュルク
(ケマルは)反転攻勢の成功により、アンカラ政府の実力を認めた連合国に有利な条件で休戦交渉を開かせることに成功した。 (中略) 翌1923年には総選挙を実施して議会の多数を自派で固め、10 月29日に共和制を宣言して自らトルコ共和国初代大統領に就任した。
1924年、ケマルは議会にカリフ制の廃止を決議させ、新憲法を採択させてオスマン帝国末期から徐々に進められていた脱イスラム国家化の動きを一気に押し進めた。同年、共和国政府はメドレセ(宗教学校)やシャリーア法廷を閉鎖、 1925年には神秘主義教団の道場を閉鎖して宗教勢力の一掃をはかる。1926年には大統領暗殺未遂事件発覚を機に反対派を逮捕、追放して、ケマル自身が党首を務める共和人民党による議会の一党独裁体制を樹立、改革への絶対的な主導権を確立した。 (中略) ケマルの政策は確かに独裁的であったが、その目的は私腹を肥やす事や、少しでも批判的な勢力を潰すものではなく、結果としてトルコ国民が暮らし易くなるものばかりだった。この事からケマルは「正しい独裁者」とも称される。」

まぁ大雑把に略すと抵抗運動を率いてトルコ共和国を建国して、大統領になり、イスラム国家だったトルコの政権分離をして、民主化に尽力した人です。少なくともここら辺で独裁者=悪、という単純思考だけはやめてほしい。民主主義=悪(自分の利益のためには先制攻撃も辞さず、国を滅ぼして「てへ、大量破壊兵器持ってなかった。ごめんね。」とか言ってる自由と民主主義の国)な例もありますし、民主主義は先進的で正しいけど、封建主義や独裁主義は悪だという単純思考はそろそろ卒業した方がいいと思う。

で、レイアースの話に戻ると、先代の独裁者は公に仕える優秀な指導者だったのですが、私心を出してしまい、その責任を取る形で自ら切腹した実に天晴れな指導者だったのでした。(切腹した後のことも考えてくれれば最高だったのですが)

で、後先考えず自殺した指導者の後継者探しというのがレイアース2の世界観である。

なんか少女漫画くさい恋愛描写とか戦闘シーンとかはかっ飛ばして(まぁこういうところが好きな人は別のサイト見てください。)現状の説明後にはこの「人柱」システムへの疑問が随所から提示されます。曰く、
「みんなが幸せなら個人の幸せはどうでもいいのか?」

これがレイアースのメインテーマになっているけれど、僕が考えるにこの問いは前提が存在していて、その前提に気付けば、そもそも存在しない問いなのである。

とりあえず解答を出すのは先にして、少し物語を読み進める。

各人がそれぞれの思いで人柱になることを望むもの、人柱制度に疑問を呈すものもあるが、結局、人柱に疑問を持つ主人公と人柱になりたがる侵略者が人柱候補に選ばれる。最終的には人柱否定派の主人公が勝ち、人柱制度はなくなり、この世界はお互いが信じ合う幸せな国になりましたとさ。ちゃんちゃん。

腑に落ちない。お互い信じ合えば幸せになれる?せめてもう少しどうしてお互いを信じ合えばいい世の中になるのか説明してもらわないと納得できない。

まぁいい。とにかく最高の独裁制より最悪の民主制の方がいいということがこの作品の解答らしい。でもこれじゃあ最高の独裁制よりも民主制の方がいいっていうことしか言えないと思う。最悪の民主制の方がいいというなら柱制度をなくして、いろいろと問題は起こるけれども、なくしてよかったですという描写が必要だ。

しかも、そもそも前提条件には全くふれられていない。その前提条件は
「他人のために尽くす人間は不幸せである」というものだ。

たとえば極端な例で全員がSMのM属性の国を考えてみる。このままではSの人間がいないから国中不幸せである。だから一人が自分はM属性にもかかわらずSの役目を買って出る。そうすれば不幸せなのはその一人だけで国中全員幸せになる。S役の人がMに戻りたい。そんなこと言ったら周りに迷惑かかるから自殺する。というのが無印レイアースの話である。
で、自殺しちゃったら国中のMの人の不満たらたら。だから、もう一人S役の人を選ぼうとしたらS役の人が「みんなSMやめて普通のセックスしようよ。そしたらみんな幸せだよ。」といったのがレイアース2。

Mの人はそりゃぁSMプレイできないよりかは普通のセックスしたほうがいいかもしれないけど、ちょっとそのオチはなぁ。SM好きな人ならSMプレイの方が好きなはずですよ。

そろそろこの問題を解決する方法がわかったのじゃあないでしょうか?

簡単です。真性のSの人を連れてくるだけです。

馬鹿話は終わりにして元の話に戻します。レイアースの世界においては人柱になると恋愛ができずに、恋愛をすると世界が悪くなってしまうのです。なら簡単です。非恋愛体質の人間で世界のために祈り続けられる人間を柱に選んで、周りの人間をブサイクだらけにすれば世界は平和です。ザカード君がかっこよすぎるのがレイアースの諸悪の根源です。

私がレイアースに感情移入できなかったのは、前提条件になってる恋愛至上主義なのです。主要登場人物のほとんどが何らかの恋愛感情を持っています。かつ、この前提条件に全く言及していないからどうも薄っぺらく感じてしまうのです。(正直、少女漫画にそこまで求めるのは酷ですが。)

ふと思いついたのは、Fateの衛宮士郎君はたぶんこの世界なら柱になる、かつなれるだろうし、エメロード姫よりも遙かに陰険なスケープゴートにされた人物もいますから、Fateとの比較の中でまた何か書けそうですが、もうかなり長くなったので次回にしようと思います。

さて、いろんなことを言ってきました。最後にまとめます。
1. 独裁者≠悪 
2. この話は最高の独裁政治と最悪の民主政治のどちらがいいという質問への回答になっていない。
3. 他人のために尽くすことは不幸せじゃないと思う

ここまで読んで、私がこの作品が嫌いだと思われる方がいられるかもしれないが、むしろ逆です。

まず、つまらなかったら読まない。で、感想も何もない。
逆にこれだけの文章を書くのは書き慣れていない私にとっては相当な労力を要することなので、情熱がないと続きません。こうしてその作品がどういうものなのだかいろいろと考えて分解して吸収するのが私の作品の愛し方なのです。あまり他人と共有できる楽しみ方ではないのですが。

ここまでいろいろ考えさせてくれる作品を書いたCLAMPに敬意を表します。

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